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2025.12.11
「ヒルトン京都」で大人の京都ステイを イタリアの温もりを届ける“オステリア”がオープン
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JR京都駅から車で約15分、市内中心部「河原町三条」に位置する「ヒルトン京都」は先斗町や祇園は徒歩圏内、世界遺産の二条城や清水寺にも近く、観光やビジネスに便利なロケーションにある。歴史ある街の魅力が漂う中、現代的で洗練されたデザインを融合させた「ヒルトン京都」は、まさに大人の京都滞在にふさわしいホテルである。
京都の風情あふれる街並みに建つ「ヒルトン京都」。
5フロア吹き抜けのロビーには、織物の「織り糸」をモチーフにしたデザインが施されている。
館内のコンセプトは「京都SYNAPSEシナプス 」。
京都の歴史や伝統、革新、さまざまな魅力をつなぐという想いが込められており、その哲学はホテル全体に反映されている。チェックインを済ませ、吹き抜けの天井を見上げれば、壁面に張り巡らせた糸が織りなす壮麗なデザインが目に入る。
デザインテーマ「ORIMONO織物 」を象徴し、ロビーの片隅にある織り機から糸が空間全体に広がるアートは、まるで京都の伝統技術の物語に包まれているかのようだ。この美しく洗練された空間を手掛けたのは空間デザイナー故・橋本夕紀夫氏。橋本氏のデザイン哲学が至る所に反映されている。
日本の美意識が宿る客室は心地よく、自身の原点を思い起こす
客室は全313室、スタンダードルーム約40㎡からスイートルーム121㎡まで全16タイプ。木のぬくもりが感じられる和のインテリアに、京都の地図を表現したカーペット、大きな窓に設えられた障子など、日本人にとって懐かしく、訪れる人に安らぎを与える空間だ。
畳空間もある「キング京都スイート」。
独立したベッドルームとリビングルームを備えた「キングデラックススイート」。
9階にあるエグゼクティブルームやスイートルーム宿泊者専用のエグゼクティブラウンジは、京都の町家の路地を思わせる通路の奥にある。チェックイン・チェックアウトのほか、朝食、リフレッシュメント、イブニングカクテルをゆったり楽しめる。
この空間や食事などを自由に使えるメリットだけを考えても、エグゼクティブルームやスイートルーム利用が絶対におすすめであると言えるだろう。
9階エグゼクティブフロアのエレベーターホールから中庭を見る。
落ち着いた空間のエグゼクティブラウンジ。
館内の魅力は宿泊だけにとどまらない。
1階にはオールデイダイニング「Téoriテオリ 」、ロビーラウンジバー「LATTICE LOUNGEラティス ラウンジ 」があり、京都老舗「小川珈琲」のオリジナルブレンドや季節のアフタヌーンティーが楽しめる。ペストリーシェフが心を込めて仕上げるフォトジェニックなスイーツ9種とセイボリー4種は見た目も美しく、宇治の日本茶やこだわりの和紅茶とも相性抜群だ。
「ラティスラウンジ」ではアフタヌーンティーも楽しめる。
手作りにこだわったビュッフェが楽しめるオールデイダイニング「テオリ」。
さらにおすすめしたのが隠れ家的な9階のルーフトップバー「CLOUD NEST ROOFTOP BARクラウドネスト・ルーフトップバー 」だ。夕暮れどきの美しい京都市街の景観を楽しみながら、カクテルや軽食、ノンアルコールドリンクを堪能できるのは、知る人ぞ知るスポットである。
季節営業の「クラウドネスト・ルーフトップバー」のおすすめはオリジナルのピニャ・コラーダ。ドリンクのほか軽食やスイーツも楽しめる。
宿泊体験のもうひとつの魅力は、国内初となるヒルトンのスパブランド「eforea SPAエフォリア スパ 」。
北山杉やクロモジなど京都産天然素材から抽出したオリジナルオイルを使用し、フェイシャル、ボディ、フットケアなど豊富なメニューを揃える。宿泊ゲストはペアルームの利用も可能で、日常から解放された贅沢な時間を過ごせる。
国内初のヒルトンオリジナルスパブランド「エフォリア スパ」。ヒノキ風呂を備えたペアルーム。
イタリアの情熱と温もりを届ける、国内ヒルトン初の新コンセプト「オステリア」
2025年秋、1階に南イタリアの温もりあふれるダイニング「オステリア イタリアーナ セブン・エンバーズ」が誕生した。
エグゼクティブシェフを務めるのは、イタリア政府より「ユネスコ世界遺産・イタリア料理のアンバサダー」の称号を授与された、マリアンジェラ・ルッジェーロ氏だ。イタリア出身のエグゼクティブシェフが手掛けるオーセンティックイタリアンの世界観は国内ヒルトンでは初の挑戦だ。
エグゼクティブシェフのマリアンジェラ・ルッジェーロ氏。
「ヒルトン京都は『お客様のお声を大切に聞く』ということを理念のひとつに持つホテルです。ゲストの声はもちろん、品質へのこだわり、心のこもったおもてなしなどを体現するのにふさわしいスタイルを追求したとき、さらにイタリアの情熱と温もりと伝えることを考えると、“オステリア”が最適であると考えました」と語る。
“オステOste”という言葉は、イタリア語で“おもてなしする人”を意味する。
ここでは、心を込めた温かなおもてなしや、胸躍る食体験、笑顔と愛があふれる時間を過ごすことができ、毎日手作りされるフレッシュパスタや窯で焼き上げるピッツァなど、世代を超えて受け継がれたレシピに基づく心温まるメニューの提供をするなど、人々のつながりや温もりに包まれることができる。これこそがヒルトン京都が目指すオステリアなのである。
内装や雰囲気も気負いなく安らげる空間となっている。
「ヒルトン京都を訪れるお客様は、料理にも高い期待をお持ちです。その期待に応えるために、“本物”の味を届けたいと考えました」。
オーセンティックイタリアンが意味する本物とは、食材や季節、そして一緒に食卓を囲む人々への敬意が根ざしたものであり、それはイタリアの家庭の味や温もりの記憶と結びつくものである、とルッジェーロ氏は考えている。本場イタリアの技法を礎にしつつ、今回初めて自身の故郷に伝わる“ファミリーレシピ”をメニューに取り入れた。
「祖母がいつも作ってくれたCavatelli al Ragù di Maiale della Nonna豚肉のラグーソースのパスタや、Polpette al Sugoじっくり煮込んだトマトソースで仕上げるミートボールをはじめ、家族に受け継がれてきた味をヒルトン京都で提供できることは、私のルーツの一部をゲストとシェアすることであり、それは大きな喜びです」と話す。
パルミジャーナ・ディ・メランザーネ手前、カヴァテッリと京丹波高原豚ラグーソース添え中央。
気心の知れた仲間とワイワイ食べたい、窯焼きの手作りピザ。
メニューには、手打ちパスタに京丹波高原豚の旨みを絡めた「カヴァテッリ 京丹波高原豚のラグー」、京都ポークでとろけるチーズを包み香ばしく焼き上げた「プーリア風ボンベッテ」、淡路産モッツァレラとサン・マルツァーノによるナポリ名物「揚げピザ」など、世代を超えて受け継がれたノンナイタリア語でおばあちゃんの味に、京都の食材とシェフの感性を掛け合わせた料理が並ぶ。
「一度だけ訪れる特別なレストランではなく、何度でも来たくなる場所。そして京都から料理が文化の架け橋となることを示すと同時に、伝統に根ざしながらも本物の食体験を提供したい」とルッジェーロ氏の熱い思いを語った。
イタリア料理の真髄である、“食卓を囲む”“料理や喜びの感情などを分かち合える喜び”これらを共有することだとも語る。
「たとえばピザだけ食べたくてふらっと来る、家で食卓を囲むような気軽やさ温もりのあるオステリアでありたいですね。大切なのは“食卓を囲む喜び”を感じていただくことですから」。
もちろんドリンク類もイタリアのものを中心に揃えている。本場イタリアのワインやビールなど、イタリアの雰囲気を存分に楽しめるラインナップになっている。
そして最後にルッジェーロ氏は、レストランが掲げるテーマをこう締めくくってくれた。
「Soul of Italy × Elegance of Kyoto」
イタリアの魂と、京都のエレガンス——「その融合による、忘れられないダイニングエクスペリエンスを」と。
ヒルトン京都の滞在は、客室やラウンジ、スパ、レストランを通して、京都の文化と世界の魅力が調和した特別な時間を提供している。京都観光の拠点としてはもちろん、宿泊者が日常を忘れて心からリラックスできる、そんな空間と時間が約束されている。
京都滞在の楽しみがまた一つ増えた。
Text by Yuko Taniguchi
京都府京都市中京区下丸屋町416番地
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富士山麓で旧年を振り返り、新年の幸福を願う
2025.12.17
星のや富士の滞在プログラム「富士山麓の開運ステイ」を今冬も開催
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古来より信仰の対象とされてきた富士山の麓に位置する「星のや富士」では、2026年2月28日までの期間、新年の幸福を願い心身を整える特別なプログラム「富士山麓の開運ステイ」を実施中だ。
「富士山麓の開運ステイ」で提案するのは、自然と向き合いながら一年を振り返り、新たな年を清らかな気持ちで迎えるための滞在体験。
チェックイン当日は焚き火を囲みながら一年を振り返り、翌日の富士山最古の神社への参拝に向けて心を整える新プログラム「開運のひととき」を体験。山梨の正月行事「どんど焼き」に習い、繭玉団子を火で焼き、お汁粉として楽しみ、さらに地元の織物を使用した御朱印帳づくりを行う。
滞在2日目の早朝には、河口湖で「日の出カヌー」に出発。冬の澄んだ空気の中、波ひとつない湖面に漕ぎ出し、刻々と色を変える日の出を眺めながら特製の甘酒ドリンクをいただく。静寂に包まれた湖上で迎える朝は、新しい年への気持ちを整える時間となるはずだ。
翌日は、富士山最古の神社「冨士御室浅間神社」を参拝。祈祷と御朱印を受けることで、新しい年の幸福を願う。
参拝後には、河口湖を望むキャビンで「開運朝食」を味わう。若桃や煮鮑など縁起の良い食材を使った小鉢に加え、“ごぼう”や“蓮根”などを組み合わせた温かい「みみほうとう」などが並び、新年への活力を与えてくれる。
自然、祈り、食を通して一年の節目と向き合う「富士山麓の開運ステイ」。霊峰富士のそばで迎える静かな新年は、心を整えたい大人にこそふさわしい滞在となりそうだ。
◆星のや富士「富士山麓の開運ステイ」
【期間】2025年12月1日~2026年2月28日
【料金】1名35,000円(税・サービス料込)
*宿泊料別、交通費別
【含まれるもの】開運のひととき、御朱印帳、日の出カヌー、ドリンク、冨士御室浅間神社での祈祷、開運朝食
【予約】公式サイトにて2週間前まで受付
【定員】1日1組(2~3名)*小学生以上
※仕入れ状況により料理内容や食材の産地が一部変更になる場合があります。悪天候の場合は、内容を一部変更、中止します。プログラム内容は予告なく変更をする可能性があります。
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永遠の聖地、伊勢神宮を巡る
2025.12.5
伊勢神宮 日本人の心が宿る「神宮の森」が意味すること
宮域林のそばを流れる沢。肥沃な土壌に濾過されてミネラル分を多く含む水は、澄み切って頭上の木々を水面に映す。
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伊勢の神宮の今回のテーマは、神宮を支える豊かな自然。なかでも、参拝者には目に触れにくい存在ながら、“神宮の森”として知られる広大な宮域林に焦点を当て、この森がどのように神宮の営みを支え、式年遷宮に欠かせない役割を担っているかを紹介していく。
内宮の大鳥居をくぐり、宇治橋を渡るとき、いつも1度は足を止め、五十鈴川の清流を眺めて深呼吸をする。背後には、季節ごとに色や趣を変える神路山(かみじやま)。
神宮の豊かな自然は、心身をあるべき姿に落ち着かせるようなリセット作用があるように思う。
お伊勢参りの目的は、もちろん伊勢の皇大神宮(内宮)の主祭神であり、皇室の御祖神で、私たち日本人の総氏神でもある天照大御神に、これまで、何はともあれ無事に暮らせてきたことへの感謝を捧げること。
その一方、たとえば長い参道を歩くときに目に入る大木や、五十鈴川の清流、さらにご正宮をお守りするようにそびえる山々など、周囲のさまざまな自然に目を向け、耳を澄ませて心を開くことで、日々の暮らしでささくれ立ち、淀みがちになっていた心身にすがすがしい風を通して、まっさらな状態になる、そんな効果があるようにも感じている。
神路山の剣峠から南方の宮域林を望む。
“神宮の森”と呼ばれ、広大な面積の神宮の宮域林の役割
神宮の宮域林は、全部で5,500ha。東京都世田谷区とほぼ同じで、伊勢市の4分の1に当たる広さがある。
一般に神宮林とも呼ばれるこの宮域林は、内宮を取り囲むように南側に広がり、3つの区域に分けられている。
1つは、内宮や外宮の神域のように、風致を守り、手入れをする区域。2つめは、宇治橋付近から見渡せる山全体に当たり、できるだけ「自然のまま」が保たれるよう、たとえば枯れた木を取り除くなど、樹木の生育に差し障りがある場合を除いては、極力手を入れない区域で、両者は合わせて第1宮域林と呼ばれている。
一方3つめは、2、300年の長い年月をかけ、式年遷宮の御用材となるヒノキの植林を行う区域で、広さは約3000ha。第2宮域林と呼ばれている。
神職により榊と御塩で祓いを受けた後、大宮司をはじめ、神宮職員や神宮崇敬会の職員などが、手分けして約600本の苗木を植えていく。
令和7年(2025)11月18日、この第2宮域林で、新たなヒノキの苗木、約600本を植える植樹祭が行われた。
200年後の御用材となるヒノキの苗木を植える植樹祭
五十鈴川を遡るように、神路山の頂へ向かって約20分。車は途中で左に折れ、未舗装の林道を進んでいく。両脇にはうっそうと茂る宮域林。ヒノキだけでなく、クスノキやサカキなど広葉樹の木々も混在している。
昭和25年に始まり、今年で第76回を迎える植樹祭は、神宮の長い歴史から見れば新しいおまつり。毎年春に行われているものの、令和7年(2025)は式年遷宮に関するおまつりのスケジュールの関係で、秋に変更になったという。
そもそも、ヒノキの植樹をはじめとする宮域林の育成と保全、管理が始まったのは、大正12年(1923)のこと。当時、200年後の御用材となるヒノキを確保するために、神宮森林経営計画が策定されたのである。
植樹祭の様子。大宮司、少宮司が参列。山の神に向かって祝詞が奏上された。筵にくるまれているのは、植樹するヒノキの苗木。
植樹した苗木に手を合わせる職員。
“神宮の森”が時代と共に変化すること、そして変わらないこと
神宮では、20年ごとに行われる式年遷宮のたびに、内宮と外宮の御正殿をはじめ、65棟の殿社が新たに造営されている。
1回の遷宮に必要なヒノキは、1万本以上。主に、人の胸の高さで直径5、60㎝の木が用いられ、なかには御正殿の棟持柱(むなもちばしら)や御扉(みとびら)のように、直径1mを超える巨木も必要となる。
もっとも、式年遷宮が始まった1,300年ほど前から鎌倉時代までは、現在の宮域林である神路山や島路山(しまじやま)など、神宮周辺の森から御用材を伐り出すことができていた。
だが、次第に適材が得られなくなり、さまざまな変遷を経て、江戸時代以降は、木曽の山々をも御杣山(みそまやま=御用材を伐り出す清らかな山)にして伐り出されることになり、現在に至るという。
樹齢約100年のヒノキ。植樹して3,40年経つと、根の張り具合や枝ぶり、太さなど、木の優劣がはっきりしてくるという。特に優良な木は2本線でマークして目印とし、周囲の木を間伐して大切に育てる。
江戸時代は、お伊勢参りの空前のブームで、神宮周辺の木々の伐採が進んだ時期でもある。膨大な数の参詣者を迎えるには、大量の薪や炭材が必要だったのだ。その影響で、明治時代や大正時代は、五十鈴川の氾濫や山崩れが繰り返し起きるようになったという。
大正12年(1923)に、神宮森林経営計画が策定された背景には、式年遷宮の御用材となるヒノキを植え、育てるのはもちろん、木々がなくなって保水力を失った森を健全な状態に戻し、五十鈴川の水源を涵養(かんよう=自然に水がしみこんで、きれいな水を少しずつ養い育てること)する必要に迫られていたからでもあったのだ。
人が手を入れ、管理することで健全な森が生まれ、良好なヒノキが育つ
今回植樹祭が行われた場所は、内宮のほぼ真南に当たり、広さは0,2ha。実は、平成21年(2009)にも同じ場所に苗木を植えたそうだが、その後台風の被害や鹿の食害に遭ったことから、今回改めて植樹されることになったという。
外宮の神域内にある巨木。自ずと敬虔な気持ちになる。
宮域林をはじめとする神宮の自然は、放任された手つかずのものではない。特に針葉樹であるヒノキは、植樹した後も20年間下草を刈って枝を払い、絡みつく蔓を切って間伐を行わないと、御用材に適したまっすぐな大木に育たず、森もジャングルと化して荒れた状態になるという。
では、効率だけを追求し、ヒノキだけを育てればよいかというと、そういうものでもないらしい。
ヒノキの枝を払い、優良な木だけを残して間伐すると、地面に陽が当たって多種多様な植物が発芽する。広葉樹の木々も自然に芽吹き、やがて、森の上層部にはすっくと伸びたヒノキ、中間層や下層部には、さまざまな葉を茂らせた広葉樹の若木という混交林になる。
つまり、空間に対して樹木の占める割合が高くなり、その分、土に還り、肥料となる枝葉の量が増えることから、土がスポンジのようにふかふかになるのだ。
加えて、木々や草花に花が咲き、実が生れば、それを求めて動物や鳥が集まり、その排泄物をミミズや微生物が分解して、土の肥料濃度が上がる。つまり、肥沃な土壌になることから、ヒノキだけを植えるより、強く良好な木に育つという。
大宮司自ら鍬を振るい、苗木を植える。
森は天然の貯水池である。
長期的な計画によって持続可能な森をいかにつくるか
肥沃な土壌は、森を育て、良質な水を生む。
健全な森に降る雨は、そのまま流れず、1度地下に潜って長い年月をかけ、地中深くにしみこんでいく。やがて、その水は、肥沃な土壌に濾過されてミネラル分を多く含んだ滴(しずく)となって谷に漏れ出す。そして、沢になり、五十鈴川となって下流へ流れ、神々へのお供え物となるお米や野菜、さらに御塩(みしお)を作るための水として使われるのだ。
すべては、森本来の生態系や多様性があってこそ。
天照大御神の御鎮座以降、約2000年という長い歴史の中で、さまざまな局面をくぐり抜けてきた神宮の森は、今、自然を守り保つことと、式年遷宮の御用材であるヒノキを育て、活用すること、この双方のバランスを取りながら、持続可能な森となるよう、長期的な取り組みが進められているのである。
倒木し、苔むした大木を養分にして芽吹いた苗。森ではさまざまな生命が循環している。前回の式年遷宮で用いられた御用材も、解体後は削り直し、再度組み立てられて全国の神宮とゆかりある神社や被災した神社の社殿として用いられるという。
そもそもなぜ、ヒノキなのか
『日本書紀』に記された神話と日本人の自然観
だが、そもそも数ある木の種類のなかで、なぜ神宮の御正殿や別宮以下の社殿には、ヒノキが用いられるのだろう。
たしかに、ヒノキは腐りにくく、香りも長く続いて虫を寄せつけない強靭な性質があるという。現に、7世紀に創建された、奈良・法隆寺の五重塔にもヒノキが用いられ、日本最古の木造建築として、今もその威容が保たれている。
だが、神社仏閣にヒノキを用いる理由は、木の性質だけではないようだ。
日本の古典神話、『日本書紀』によれば、日本の木々はスサノオノミコトと関わりがあるとされている。
つまり、スサノオノミコトが自分の髭を抜き、周囲に散らすとスギの木になり、同様に、胸毛はヒノキ、尻の毛はマキになり、眉毛はクスノキになったと書かれている。木はスサノオノミコトの分身、と読み取ることもできるだろう。
さらに、スサノオノミコトは、それぞれの木の用途についても明言している。たとえば、スギとクスノキは船の材に、ヒノキは立派な御殿を造る材木とし、マキは死者を葬る棺の材にせよ、と。
外宮の御敷地に立つ巨木。
思えば古来、日本では、ヒノキに限らず、巨木や巨岩は神の依り代となる御神木、または磐座(いわくら)として神聖視されてきた。
そして、そんな御神木や磐座を有する山や森も、また当然神聖視され、平地部でも山の神をお祀りするなど、鎮守の杜として守り継がれてきた。
式年遷宮に際しても、御用材となるヒノキを伐り出すときは、そのたび山口祭や御杣始祭(みそまはじめさい)などのおまつりを行って、山の神に感謝の祈りが捧げられる。
その根底には、すべてのものに神が宿るという日本古来の自然観が存在するのだろう。
特に神宮の主祭神である天照大御神は、神々の世界である高天原を統括する神。その御神体をお祀りし、お守りする聖域に、神宿る木、それもスサノオノミコトが「立派な御殿を造る材に」と定めたヒノキを用いることは、ある意味自然なことだっただろう。
加えて、御用材は1度使われて終わりではない。解体後は削り直され、たとえば御正殿の棟持柱は、次の20年間は宇治橋の鳥居に(外宮は宇治橋の外側、内宮は宇治橋の内側)、さらに20年後は、同じ柱が今度は桑名市の七里浜の渡跡の鳥居(外宮)や亀山市の関の追分の鳥居(内宮)に用いられ、その後は地元の神社などに下賜(かし)されるという。
他の御用材も、殿社の解体後に削り直され、再度組み立てられて、全国の伊勢の神宮ゆかりの神社や被災した神社の社殿として、その役割を全うする。
かつて明治時代の文明開化の頃に、御正殿の建材をコンクリートやレンガにしてはどうかという提案がなされたと聞くが、日本古来の自然観や信仰のあり方からすれば、その発想は本末転倒であるように、個人的に思う。
森の循環が、持続可能な永遠の森を造っていく。
話題を植樹祭に戻そう。
今回の祭場は、山の斜面に設けられていた。植樹する前に、まず祭主が山の神に向かって祝詞を奏上。感謝を捧げ、苗木が無事育つよう祈られた。
今回植樹されたヒノキの苗木は、宮域林のヒノキから採取した種を発芽させ、育てたもの。この3年生の苗木が直径約60㎝になる200年後には、遷宮に必要な御用材の90%を超えるヒノキが、この宮域林でまかなえることになるという。
植樹されたヒノキの苗木。神宮宮域林のヒノキから種を採取し、育てたもの。3年生で40㎝ほどの高さがある。
神宮宮域林での取り組みが始まって、ほぼ100年。
周囲を見渡すと、当時植樹されたのだろう。樹齢100年ほどのヒノキが数多く育ち、なかには1重、2重の線でマークされた木もあった。これは、優秀な木を後世に伝えるための目印。
前回の平成25年(2013)の式年遷宮では、御用材の実に23%を宮域林で調達できたという。
木を植え、育てながら森を見守り、活用してまた植える。その循環を続けることが、永遠の「常若(とこわか)の森」へとつながっていくのだろう。
Text by Misa Horiuchi
伊勢神宮
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
文・堀内みさ
文筆家
クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、<wbr />ほとんど答えられなかった体験が発端となり、日本の音楽、文化、祈りの姿などの取材を開始。<wbr />今年で16年目に突入。著書に『おとなの奈良 心を澄ます旅』『おとなの奈良 絶景を旅する』(ともに淡交社)『カムイの世界』(新潮社)など。
写真・堀内昭彦
写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。
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永遠の聖地、伊勢神宮を巡る
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投稿 伊勢神宮 日本人の心が宿る「神宮の森」が意味すること は Premium Japan に最初に表示されました。
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光と静けさが満ちる、箱根のプライベートステイ
2025.12.5
強羅花壇の新客室「別邸 東雲」
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箱根の名宿・強羅花壇に2025年8月に誕生した客室「別邸 東雲(しののめ)」。約250㎡という広さに、ライブキッチン、プライベートサウナ、展望石風呂、和室を備えた、強羅花壇を代表する寛ぎの空間は、特別な“余白の時間”を求める人に最適な空間だ。
名前の由来でもある「東雲」は、夜明け前の淡い光が空に溶け始める瞬間を指す言葉。目の前に広がる枯山水の庭と、その奥に連なる箱根の稜線が重なる光景は、忙しい日常で強張った心をそっとほどいてくれる。特に空が明るみはじめる東雲の時刻には、やわらかな朝焼けが庭全体を包み込み、自然の美と時間の移ろいを全身で感じることができる。
シェフズキッチン
展望石風呂
強羅花壇のこだわりを凝縮した空間には、専属料理人が目の前で懐石料理を仕立てるシェフズキッチン、外気浴スペースを完備した完全プライベートなサウナ、さらに大文字山と石庭を望む源泉かけ流しの展望石風呂も。また、8畳の和室は日本人の琴線に触れる心安らぐ空間。一服の茶を味わう余白の時間が、心を静め精神を整えるひとときをもたらしてくれる。
プライベートサウナ
和室
閑院宮家ゆかりの別邸を起源にもち、ルレ・エ・シャトー加盟、ミシュランキー最高位の獲得など、国内外で高く評価され続ける強羅花壇。その哲学が最も純度高く表現された「別邸 東雲」は、日々の忙しさから離れて心身を整えたいとき訪れたい、箱根の隠れ家だ。
◆箱根・強羅花壇「別邸 東雲」
【客室面積】254㎡
【定員】最大6名
【寝具構成】ツインベッド+布団
【設え】シェフズキッチン、プライベートサウナ、和室、展望石風呂、ダイニング
【泉質】弱アルカリ性単純温泉
【眺望大文字焼きを借景とした枯山水庭園
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Features
2025.12.4
「五島リトリート ray by 温故知新」が贈る聖夜のリトリートステイ
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投稿 強羅花壇の新客室「別邸 東雲」 は Premium Japan に最初に表示されました。
Features
イタリアのクラフツマンシップが息づく、旅の“出発点”
2025.11.26
FPM Milano、日本初の旗艦店を表参道にオープン
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イタリア・ミラノ発のプレミアムラゲッジブランド「FPM Milano(エフピーエム ミラノ)」が、12月11日(木)14時、待望の日本初フラッグシップストアを東京・表参道にオープンする。
(左)BANK Trunk On Wheels 413,600円 (右)BANK Spinner55M 332.200円
表参道店舗限定色RED BANK Spinner55M 332,200円
重厚なアルミニウムボディと堅牢なロックシステム、そしてクラシックとモダンが融合したデザインで、世界中の旅人を魅了するFPM Milano。“旅=人生”というブランドフィロソフィを体現する新店舗は、旅人が新たな出発へと踏み出すための始まりの場所だ。
外観は、透明感のあるガラスファサードとホワイトを基調とした建築が印象的。イタリアのクラフツマンシップとミラノらしいモダンデザインが響き合う空間には、ブランドを象徴する〈BANKコレクション〉をはじめ、カスタムグッズなど充実のラインアップを展開。旅をスタイルとして楽しむ人々に、新たな体験を提供する。
BANK Vanity Case 215,600円
イタリアの美意識と精密なクラフツマンシップが光る「FPM Milano表参道」。ブランドの世界観を体感できる新拠点に、ぜひ足を運んでみては。
◆FPM Milano 表参道
【住所】東京都渋谷区神宮前4-24-17
【オープン日】2025年12月11日(木)14:00
【営業時間】11:00~19:00
【TEL】03-6804-3716
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Experiences
Spotlight
伊豆熱川のノスタルジック・ラグジュアリーの宿
2025.11.19
昭和レトロ好きの心を掴む宿「伊豆リトリート 熱川粋光」
リニューアルしたホテル。玄関横には送迎用のクラシックカーが見える。
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伊豆半島東岸に位置する熱川は、海岸沿いに温泉が湧出する温泉地である。高度成長期には多くの旅館やホテルが建設され、昭和54年をピークに、海沿いの温泉リゾートとして盛隆を誇った。現在も、昭和期の面影を色濃く残す温泉街である。
11月1日より、その地に「ノスタルジック・ラグジュアリー」のコンセプトのもとリニューアルオープンしたホテルが、「伊豆リトリート 熱川粋光(あたがわすいこう)」だ。
昭和の温もりに包まれる伊豆旅へ
最初に出会う伊豆熱川駅の送迎車両からして、ノスタルジックで気持ちが弾む。宿が選んだのは、1990年代のクラシックカー、光岡自動車の「ガリューⅠ」である。
「ノスタルジック・ラグジュアリー」とは、昭和を思い起こさせる趣向が随所に凝らしてあることを指す。それが第1の特徴である。
ロビー階奥にはLPが陳列されている。左奥がラウンジバー。
その感覚はレセプションからロビーへと進むと、より一層強くなる。例えば、壁にLPレコードが陳列してあるコーナーがある。
アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ビートルズ、キース・ジャレット、中島みゆき、中森明菜……懐かしさとともに思わず手に取ってしまう。もちろんリクエストすれば、それらはラウンジバー「汐待ち」で聴かせてもらえる。
全室に露天風呂が完備。源泉掛け流しで豊富な湯量を誇る。
趣味性の高い、贅を尽くした空間が快適を滞在を約束する
客室は全16室で、すべての部屋がオーシャンビューで露天風呂を完備する。しかも、豊富な湯量を誇るために、全室が源泉掛け流しである。
全客室の大胆なリノベーション、これが第2の特徴となっている。
客室は6タイプ。最小でも約87平米もあり、最大で約200平米と、とても贅沢な広さを有している。最小の部屋であっても、入室しただけでゆったりとした気分に浸ることができる。
大浴場がなくても、部屋に露天風呂が付いているのはたいへん素晴らしい。到着してすぐに入れば、目の前に広がるのは東伊豆の海原だ。就寝前に海面に輝く月光(月の道)を眺めながらもう一度、さらに翌朝は曙光を浴びながら入りたくなる。
「元大浴場スイート」は約200平米もある。
そして、リニューアルの目玉が、元あった男湯・女湯の2つの大浴場をスイートルームに改装したことだ。
その2つの「元大浴場スイート」は、約200平米もあり、一枚の写真では捉えきれないほどの広さで、洗い場の鏡などがそのまま意匠として残してあるところが面白い。露天風呂は約20平米と広く、サウナも完備している。こちらは2人で贅沢に使うのはもちろんのこと、6人まで泊まれるそうなので、家族、もしくはグループで宿泊するのに向いている。
「カラオケスイート」にはレトロなカラオケルームが付いている。
他に「カラオケスイート」があり、中の一部屋はカラオケルームになっている。こちらもサウナを完備しているので、やはりグループで宿泊したら楽しそうだ。
また、客室でもレストランでも目に付くが、地元作家の陶芸作品や、地酒、地元産の海山の食材である。それらは、滞在中に東伊豆町という地域を知らしめ、ゲストの興味をホテル周辺へと向かわしめるきっかけにもなっている。
それが第3の特徴である。高級ホテルとして地域で孤立するのではなく、地域とともに歩み、地域そのものの発展に寄与しようとする姿勢が素晴らしい。
海の恵みを堪能できる素晴らしい料理に舌鼓を打つ
宿の食事についても触れておきたい。夕食はとてもゴージャスだ。11月の献立からは、金目鯛、伊勢海老、黒むつや地元の野菜など、伊豆の食材をふんだんに使ったイノベーティブな和食になっている。
特に印象に残った品であるが、先付で出てきた「富士鱒のタルタル」は、器の蓋を取ると、鱒をダイス状に揃えた切り身を燻した煙が立ち昇る。薫香がいい。もちろん、タルタルには十分な残り香がある。
「伊勢海老のソテー」はソースがたまらないほど美味しい。
伊豆は伊勢海老の産地として知られるが、「伊勢海老のソテー 桜エビ地トマトのソース」はとても美味しかった。プリッとした伊勢海老の火入れも抜群にいいのだが、桜エビとトマトのソースがアレンジしたアメリケーヌソースで、海老味噌を溶かした奥行きの深い旨みは、しばらく忘れ難いほどだった。
ワインと日本酒のペアリングも見事で、この伊勢海老に合わせたのがギリシャの白の「サントール」。ペロポネソス半島で作られたビオのナチュールワインである。程よい酸味と切れの良さはいかにもヴァン・ナチュールで、トマトのソースとの相性はとても良かった。
「金目鯛げんなり彩寿司、金目鯛味噌汁」は締めには最高の地元料理だ。
地元の静岡牛ヒレのローストも堪能したが、締めの「金目鯛げんなり彩寿司、金目鯛味噌汁、香の物三種」は、金目鯛の身で作った紅と白のそぼろの押し寿司である。これはまさに東伊豆町の郷土料理なのだ。酢飯で食事を締めてくれたところが、口がさっぱりして嬉しい。また味噌汁も金目鯛のアラで出汁を取っているためか、味の統一感がとても良かった。
朝食もまた、旬の魚の焼物、味噌鍋、八寸、小鉢の数々……所狭しと渾身の品が並び、圧倒された。
去りがたく、また、再訪したくなる宿であることは間違いない。
Text by Toshizumi Ishibashi
伊豆リトリート 熱川粋光 by 温故知新
住所:静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本1271-2
TEL:0557-23-2345
料金:1泊2食付き94500円~(2名1室利用時、税サ込)
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日本のプレミアムなホテル
2025.11.4
「W大阪」ブラックボックスに宿る、エネルギーあふれるラグジュアリー
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御堂筋を歩いていると、漆黒の塔のようにそびえる建物が目に入る。黒一色の外壁に白く輝く「W」のロゴ。その存在感を放つのが「W大阪」だ。マリオット・インターナショナルが展開するラグジュアリーライフスタイルホテルブランド「W Hotels」の日本初となる旗艦ホテルとして、2021年に開業。以来、その独創的な世界観で常に話題を集めている。
設計を担ったのは日建設計、そして外観のデザイン監修は大阪出身の世界的建築家・安藤忠雄氏。
黒の外観に込められた、大阪商人へのオマージュ
「W大阪」のテーマは、“Simplicity × Extravagance(シンプリシティ×エクストラバガンス)”。「シンプルな外観に対比して、内部は色鮮やかネオン装飾で華やな内装が隠れた」デザインコンセプトを表現している。
その着想の源には、大阪の商人文化がある。「かつて江戸幕府の方針で、大阪商人は過度な贅沢が禁止されてたものの、表向きは控えめで物静かな装い、内々では豪華さを極めた粋な遊びを楽しんだ」と言われており、「W大阪」は当時の大阪商人の遊び心をデザインに反映している。
御堂筋でひと際目を惹く建物。
そして一歩足を踏み入れた瞬間、世界は一変する。ロビーへ続く“アライバルトンネル”は、まばゆいネオンと光のインスタレーションに包まれた幻想的な通路。3000枚以上ものプレートがそれぞれ角度を変えて配置され、太陽の光や街の灯りを受けて、微細にきらめく。その表情は、まるで都市そのものが脈打つようなリズムを描き出す。
四季や行事に合わせて色が変化する仕掛けもあり、まさに「非日常への入口」と呼ぶにふさわしい。
トンネルを抜けた先の“アライバルホール”には、日本の伝統文様「麻の葉」をモチーフにした立体装飾が広がる。
折り紙や切り紙といった日本の文化から着想を得ながら、ポップな色彩とともに再構築されたデザインは、まさにW大阪らしいモダンジャポニズム。そんな遊び心が至る所に仕込まれている。
日常から非日常へとつながる“アライバルトンネル”。
客室もまた、“外はシンプルに、内は大胆に”の精神が宿る
全337室の客室は、「コージー」「ワンダフル」「スペクタキュラー」「ファンタスティックスイート」「マーベラススイート」「WOWスイート」、そして最上級の「エクストリームWOWペントハウススイート」まで、多彩にラインナップが揃っており、そのネーミングから、Wブランドの遊び心が光っている。
スタンダードの「コージー」と「ワンダフル」は広さ約40㎡。白を基調とした空間にピンクやパープルの差し色が映える。チェックインを済ませ、ドアを開けた瞬間、自動でブラインドが上がり、大阪の街並みが一気に視界いっぱいに広がった。その光景に思わず息をのむと同時に、旅の期待が一気に高まっていく。夜には、街の光がまるで星屑のように瞬き、窓辺からは都会のエネルギーを感じ取ることができるのだ。
遊び心があふれた「ワンダフルルーム」。
客室のバーカウンターから眺める夜景は格別なご馳走だ。
各種スイートルームは、より大胆な演出が待つ。日本らしさを取り入れたデザイン、艶やかな色彩、そして専用バーカウンター。まるで映画のワンシーンのような非日常が、現実と地続きに存在している。
そして最上階に位置する「エクストリームWOWペントハウススイート」は約200㎡もの広さを誇る贅沢な空間だ。シャンパンボウルをイメージしたバスタブが象徴的で、窓の外には大阪の夜景が果てしなく広がる。グラスを傾けながら、その光の海に身を委ねる時間は、まさにこのホテルの真髄といえるだろう。
贅が尽くされた「エクストリームWOWペントハウススイート」。
室内で際立つのは、シャンパンボウルをイメージしたバスタブ。
五感で楽しむ“Wならではの体験”レストラン&バーも驚きの宝庫
3階にあるニューブラッセリー「Oh.lala…(オーララ)」では、伝統的なフレンチに日本の感性を加えたモダンビストロを提供。御堂筋を望む大きな窓が設置された店内は、朝食からディナーへの移ろいでガラッと表情を変える。特に評判なのが、自家製デザートやパンを好きなだけ味わえるブーランジェリーランチ。美味しいパンやスイーツを求めて、予約困難になっている。
大きな窓からは御堂筋の美しい並木道が広がり、四季折々の景色が楽しめる「Oh.lala…」。
同じフロアには、隠れ家のような「鮨 うき世」が店を構える。隠れ家ということもあり入り口はうっかり見落としてしまうほど控えめ。しかし一歩足を踏み入れると鮨カウンターとアート、そして京都・西陣織をあしらった内装が見事に調和した空間が広がる。江戸前の技が静かに息づく味わいを堪能する時間は、まさに贅沢の極みといえよう。
秘密の扉の先には和モダンな空間が広がる「鮨 うき世」。
そしてソーシャルハブ「LIVING ROOM(リビングルーム)」は、ホテルの鼓動を感じる場所。バーだけでなく昼はアフタヌーンティーの提供も行っており、週末の夜にはレジデンスDJが音楽を奏でる。国内外のトップバーテンダー・野里史昭氏が監修するカクテルは、Wの5つのパッションポイントをテーマにしており、まさにアートのような一杯だ。音楽と光、そしてグラスの中の物語が、訪れる人々を新しいカルチャーへ誘ってくれるここでしか味わえない体験ができる空間になっている。
カラフルなインテリアに心が弾む空間の「LIVING ROOM」。
1階には鉄板焼「MYDO(まいど)」とアート・ペストリーバー「MIXup(ミックスアップ)」が並ぶ。
「MYDO」は“まいど!”という大阪らしい挨拶を店名にした鉄板ダイニング。3つのエリアでは鉄板焼きや割烹スタイル、大阪のソウルフードなどが楽しめ、ライブ感ある美食が堪能できる。隣の「MIXup」では、オリジナルの紅茶や季節ごとに代わる自家製のペストリーに加え、度々行われているブランドとのコラボレーションによる空間やアフタヌーンティーで楽しませてくれる。
「MYDO」の店内は“FUN”“LUXE”“KAPPO”の3つのエリアに分かれている。
金箔が乗ったお好み焼き。
鉄板焼きでは黒毛和牛や国産赤牛の他、アワビやオマールエビなどのシーフードも楽しめる。
御堂筋に面した「MIXup」。
都会の中のリゾート「WET」で心を解放して
4階のウェルネスフロアには、スパ、ジム、そしてまるでリゾートに来たようなプールエリアが広がる。
「AWAY Spa」はフォーブス・トラベル・ガイド2025スパ部門で大阪エリア唯一の4つ星を獲得し、至福のデトックス体験が待っている。
屋内プールの「WET(ウェット)」は、屋内とは思えないほどの開放感。さらにガラスの外に続く“WET DECK(ウェットデッキ)”では、緑と自然光に包まれた屋外空間が広がり、ここが御堂筋沿いの中心地であることを忘れてしまうほどだ。
全長20メートルの「WET」は、季節を問わず宿泊客の利用が可能である。プールサイドにはデイベッドやソファが並び、ゆったりとくつろぐことができる。
“内に秘めた情熱”を解き放つ場所
取材で出会ったインフルエンサーが「日本で一番お気に入りのホテル」と語っていたのを思い出す。どこを切り取っても絵になるデザインと、そこに漂うエネルギーは、単なる“映え”ではなく、見る者の心を揺さぶる“躍動”そのものだ。
静かな外観と情熱的な内観。その対比はまるで、日常の中で理性を保ちながらも、心の奥に夢や衝動を抱く私たち自身のようである。W大阪での滞在では、“もうひとりの自分”を解き放つ場所であるように感じる。
大阪府大阪市中央区南船場4丁目1-3
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Stories
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日本のプレミアムなホテル
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Premium Salon
京都通信
2025.11.6
紅葉に包まれる秋の京都──びわ湖疏水船で味わう静かな時間
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今年8月27日、琵琶湖と京都を結ぶ「琵琶湖疏水」の諸施設が国宝・重要文化財に指定されました。明治時代に建設されたこの人工水路は、今もなお現役で活躍中。春と秋には、期間限定で観光船「びわ湖疏水船」が運航されています。とくに紅葉が見頃を迎える11月下旬〜12月上旬頃には、風情ある疏水沿いの景色と秋の京都を“水の上から”味わう贅沢なひとときを満喫できます。
蹴上乗下船場の周辺には、南禅寺水路閣や蹴上インクライン、ねじりまんぽなど、疏水関連の見どころが満載。この秋は、いつもと少し違った角度から京都を楽しんでみませんか。
京都の近代化の礎を築いた「琵琶湖疏水」
四季折々に美しい神社仏閣や手入れの行き届いた庭園、まちに息づく伝統文化など、今でこそ国内外の人々を惹きつけてやまない京都ですが、明治期には事実上の東京遷都によって衰退の一途をたどっていました。
この危機を打開するべく計画された策のひとつが、滋賀の琵琶湖から京都に水を引き入れるための水路「琵琶湖疏水」の建設。人々の暮らしや産業、文化を支える水源の確保のほか、水力発電などにも活用され、京都の近代化に大きく貢献しました。
かつては舟運も盛んで、人や貨物を運ぶための船などで賑わっていたそう。しかし交通網の発達とともに利用が減少し、1951(昭和26)年を最後にその姿は見られなくなりました。その後、明治150年を迎えた2018(平成30)年、67年ぶりに観光船として復活したのが「びわ湖疏水船」です。
蹴上乗下船場に隣接するレンガ建築は、1912(明治45)年に竣工された「旧御所水道ポンプ室(重要文化財)」。防火用水を京都御所へ送るために九条山山頂の貯水池に水を圧送するポンプを収めた建物で、京都国立博物館の旧館などを手掛けた片山東熊と内匠寮技師・山本直三郎によって設計された。
今年国宝に指定された3つのトンネル(第一、第二、第三隧道)や、重要文化財に指定された日本最初期の鉄筋コンクリート橋(第11号橋)、琵琶湖と疏水の水位差を克服するための大津閘門(こうもん)など、近代建築が物語る歴史ロマンと風情ある疏水沿いの風景に出合える、人気のアクティビティとなっています。
船上から見上げる、モミジのトンネル
運航期間中は、滋賀の大津港/三井寺発の下り便と京都発の上り便が運航。水の流れに沿ってゆったり進む下り便ではのんびりとしたクルーズを、水の流れに逆らう上り便ではエンジンを使った爽快な船旅と、それぞれに異なる感覚で楽しむことができます。
大津閘門(こうもん)の電動化改修工事完了に伴って、昨年から琵琶湖内の大津港までルートを延伸。2025年秋季は11月20日〜24日、27日〜30日の8日間限定で、大津港〜蹴上間を遊覧する「びわ湖・大津便」が運航。疏水船に乗ったまま、閘門の開閉による水位変化の体験や、狭い水路から琵琶湖へと進む景色の広がりなどを楽しめます。
上り便・下り便とも、大津閘門で一時停止。水門を開閉し、閘室内の水位を調整することで、疏水と琵琶湖の行き来が可能に。
琵琶湖から疏水への玄関口となる琵琶湖築地。上り便では狭い疏水を抜け、琵琶湖へと出る瞬間の開放感が味わえる。
また、例年11月下旬〜12月上旬は疏水沿いのモミジが一斉に色づく、紅葉のベストシーズン。トンネルを抜けた先に見える色鮮やかな木々、両岸を覆うモミジが生み出す“紅葉のトンネル”など、赤や橙が重なり合う秋ならではの景色に思わず見惚れてしまいます。
秋の風を受けて進むびわ湖疏水船。木々の紅葉と疏水が見事に調和した美しい景色に魅了される。
船には専門ガイドが同乗し、沿線の景色や関連施設などの見どころを解説。いかにも関西らしいジョークを交えた面白トークで、建設時の逸話や豆知識などを教えてくれるので、十二分に楽しめること間違いなしです。
【びわ湖疏水船】
2025年秋季 運航期間:12月7日(日)まで ※運休日あり
料金:片道2,500円〜14,000円(完全予約制)※小人も同一料金
公式サイト:https://biwakososui.kyoto.travel/
時期によって運航ダイヤやルートが異なるため、詳細は公式サイトでご確認ください
乗船前後に立ち寄りたい周辺の見どころ
蹴上乗下船場がある岡崎・蹴上エリアにも、豊かな水を活用した日本初の事業用水力発電所や、疏水から引き入れた水の流れが美しい庭園を持つ無鄰菴など、琵琶湖疏水に関連する施設がたくさん点在しています。なかでも南禅寺水路閣やインクラインは、紅葉の名所としても知られるスポット。疏水船の乗船前後に立ち寄ってみてはいかがでしょう。
南禅寺水路閣
レンガ造りのアーチが連なる南禅寺水路閣。橋の裏手にある坂道から橋の上部に登れば、今もなお琵琶湖の水を京都に運ぶ様子が見られる。
南禅寺の境内を横切る「南禅寺水路閣」は、疏水の一部として明治時代に建設されたレンガ造りの水路橋。琵琶湖疏水の第一、第二、第三隧道とともに国宝に指定されました。
古代ローマを思わせるアーチ型デザインは、言わずと知れた美しさ。紅葉シーズンには、真っ赤に色づいたモミジに彩られ、よりいっそうの情緒を増した景色が楽しめます。
【南禅寺水路閣】
住所:京都市左京区南禅寺福地町86
蹴上インクライン
現在は、線路の上を自由に歩けるようになっている。春の桜、初夏の新緑など、四季折々の景色が美しい。
こちらも国宝に指定された貴重な遺構。かつて疏水上流と下流の高低差を克服するため、疏水船を台車に乗せ、船ごと坂を上下させていた傾斜鉄道跡で、建設当時世界最長といわれる約582mのレールが形態保存されています。
桜の名所として知られていますが、実は秋の紅葉もキレイなんですよ。紅葉する木々の数は少ないものの、色鮮やかなモミジと廃線跡が織りなすノスタルジックな風景が印象的です。
【蹴上インクライン】
住所:京都市東山区東小物座町339
ねじりまんぽ
1888(明治21)年に竣工したねじりまんぽ。入口には、琵琶湖疏水事業を主導した当時の府知事・北垣国道の揮毫による扁額が。
蹴上インクラインの下を通る歩行者用のトンネル「ねじりまんぽ」。このユニークな名前は、古い言葉でトンネルを“まんぽ”と言うこと、そしてらせん状に積まれたレンガがねじれたように見えることに由来しています。
ねじれた構造の理由は、トンネルがインクラインに対して斜めに貫通しているから。強度を確保するために、レンガをらせん状に積む工法が採用されました。このようなトンネルはほかでも見られますが、現在も残っているのは全国でも20数カ所ほどだとか。
【ねじりまんぽ】
住所:京都市東山区東小物座町
びわ湖疏水船の魅力は、ただ景色を眺めるだけではありません。
先人たちの高い志と情熱によって成し遂げられた、明治の偉業。そこに息づく歴史ロマンにふれる船旅をぜひ満喫してくださいね。
Text by Erina Nomura
野村枝里奈
京都在住のライター。大学卒業後、出版・広告・WEBなど多彩な媒体に携わる制作会社に勤務。2020年に独立し、現在はフリーランスとして活動している。とくに興味のある分野は、ものづくり、伝統文化、暮らし、旅など。Premium Japan 京都特派員ライターとして、編集部ブログ内「京都通信」で、京都の“今”を発信する。
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永遠の聖地、伊勢神宮を巡る
2025.10.30
伊勢神宮の三節祭の一つ、最も重要なおまつり神嘗祭(かんなめさい)
外宮の由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の儀のため、斎館を出る黒田清子祭主。
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静謐、かつ清浄な空気が、夜の神域を満たしている。頭上には星。時折、カカカカカ、と鳴くムササビの声が、木立の中でひときわ響いて聞こえてくる。
年間に、約1500ものおまつりが行われる伊勢の神宮。なかでも三節祭と呼ばれる10月の神嘗祭(かんなめさい)と、6月・12月の月次祭(つきなみさい)は、浄闇(じょうあん)と呼ばれる清らかな闇の中で行われる。昼間のざわついた空気は一掃され、明かりも、手や足元を照らすごくわずかな松明やかがり火だけ。
今回は、そんな非日常の神域で行われる夜のおまつりの、なかでも神嘗祭についてご紹介しよう。
天照大御神に新穀を奉り、収穫の感謝を捧げる祭典、神嘗祭(かんなめさい)
毎年10月に行われる神嘗祭は、その年に収穫された新穀を、何よりまず天照大御神をはじめとする神々にお供えし、その恵みに対して感謝を捧げる、神宮で最も重要視されてきたおまつり。
この日は由貴大御饌(ゆきのおおみけ)と呼ばれる特別な神饌がお供えされ、米を蒸して作るという御飯(みいい)や小判型の御餅(みもち)、さらに御酒(みき)も新穀が用いられる。
神々が新穀をお召し上がりになり、新しいエネルギーを得ることによって、その威光が大いに高まると信じられてきたのである。
神様の衣も新調。榊も一新され、神嘗祭当日を迎える。
神嘗祭では、新穀だけでなく、さまざまなものが新調されるという。
たとえば、神饌やお祓いに不可欠な御塩(みしお)もその1つ。夏の間、御塩浜と呼ばれる塩田で、日本の伝統的な製塩法によって精製された荒塩(あらじお)は、毎年10月と3月に土器に詰めて焼き固められ、堅塩(かたしお)に仕上げられて保存される。
10月5日の御塩殿祭(みしおどのさい)では、御塩がうるわしく奉製されるように祈願された後、荒塩を土器に入れて焼き固める作業が行われる。
昔ながらの織機で10日ほどをかけて織られる和妙(にぎたえ=絹)。
また、神御衣(かんみそ)と呼ばれる神様の衣も、毎年10月1日から約10日間、昔ながらの織機(おりき)を用いて和妙(にぎたえ=絹)と荒妙(あらたえ=麻)が織られ、神嘗祭前日の神御衣祭(かんみそさい)で、天照大御神に奉られる。
さらに、神嘗祭の前日には、神職たちによって御正殿の御掃除も行われ、鳥居や御門、神垣などを飾るすべての榊と、榊に付けられた和紙製の紙垂(しで)も一新されるという。
神々の衣食住すべてを清らかな状態にして、おまつり当日を迎えるのだ。
一方、奉仕する神職たちも、心身を清浄にしておまつりに臨む。まず前月の晦日、つまり9月30日に、大祓(おおはらえ)で各自の罪や穢れを祓い清め、その後、神嘗祭の前々日から斎館に籠るという。
神宮を訪れるたび、心身ともに清らかですがすがしい心持ちになるのは、1000年以上もの長い間、神職や奉仕員たちが手をかけ、心を尽くして神々の衣食住を整え、自らも清浄さを心がけておまつりを続けてきた、その積み重ねによるのだろう。
神御衣祭に奉る和妙(にぎたえ=絹)が美しく織り上がったことに感謝を捧げる神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんちゃさい)の様子。布のほか、針や糸なども奉納される。
おまつりに先駆けて行われる、伊勢市民による初穂曳
神嘗祭の中心となるのは、神々にご馳走をお供えする由貴大御饌(ゆきのおおみけ)の儀。外宮は10月15日と16日、内宮は16日と17日、それぞれ2度行われる。神宮のおまつりは、すべて外宮先祭(げくうせんさい)、つまり外宮から先に行われるのだ。
もっとも、夜のおまつりに先駆けて、10月15日の午前中には、ハッピ姿の伊勢市民が奉曳車に初穂を乗せ、木遣歌(きやりうた)やかけ声もにぎやかに伊勢市街を練り歩いた後、外宮の宮域内に曳き入れる陸曳(おかびき)という市民行事が行われる。
神嘗祭では、天皇陛下が皇居内の水田でお手植えされ、また収穫された御初穂をはじめ、全国の一般農家からも初穂が奉献されるのだ。これらの稲束は懸税(かけちから)と呼ばれ、感謝を込めて神々へ捧げられる。
さらに、翌10月16日の午前中には、やはり奉献された初穂を、今度は初穂舟と呼ばれる舟に乗せ、五十鈴川を遡って内宮の宮域内に曳き入れる川曳が行われる。
全国の農家から奉献された懸税(かけちから)は、御正殿から2番目の垣に当たる内玉垣(うちたまがき)に掛けられる。古くは年貢のようなものだった考えられている。
内宮の宮域内に初穂を曳き入れる初穂曳きの様子。伊勢市民たちが五十鈴川を遡る形で、初穂舟を曳いていく。途中、橋の下を舟が通るときは、橋を渡る人や車を一時通行停止にする場面も。稲魂(いなだま)が宿る尊いお米の上をまたがないという、日本人独特の心遣いが感じられる。
神嘗祭のはじまりは、地主神への祈りと、
奉仕する神職一人ひとりが神の御心にかなうかを占う神事から
神嘗祭のはじまりは、夕刻5時。
夜に行われる由貴大御饌(ゆきのおおみけ)の儀に先立って、まず内宮の御正宮で、興玉神祭(おきたまのかみさい)と御卜(みうら)の儀が行われる。
興玉神は、天照大御神がご鎮座される場所である大宮処(おおみやどころ)の地主神。御正殿の周囲をぐるりと囲む垣の内側、つまり、御垣内(みかきうち)の西北の隅に祀られている。その神前で、奉仕する神職全員が、これから始まる神嘗祭が支障なく行えるように、祈りを捧げるのだ。
その後、やはり御垣内(みかきうち)の中重(なかのえ)と呼ばれる、清浄な石が敷き詰められた上に、祭主以下、すべての神職たちが着座。その1人ひとりが神の御心にかなうかを占う、御卜(みうら)の儀が行われる。
古式の姿をとどめる庭上座礼(ていじょうざれい)
神宮の祭祀は、他の神社のように社殿などの殿内の床上ではなく、すべてこの中重(なかのえ)のように、屋外の白石が敷き詰められた上に、薄い敷物(舗設=ふせつ)を敷いて座る、庭上座礼(ていじょうざれい)という作法で行われる。
おまつりの一場面。拝礼をする神職たち。
社殿がなかった時代の古代の祭祀は、神は人々の招きや願いに応じて天から降り来たり、しばし巨岩や大木を依代として人間界で過ごした後、再び天へ戻ると考えられていた。神宮の庭上座礼には、そんな古式の祭祀の姿がうかがえるのだ。
神慮にかなうかを、音で知らせる日本独特の音への感性
さて、御卜の儀は、3人の神職によって進められる。まず1人が、今回奉仕する神職1人ひとりの名前を読み上げ、そのつど、別の神職が息を吸って、まず「うそぶき」と呼ばれる口笛のような音を、続けて別の神職が、笏(しゃく)で箏板を叩き、コンという音を鳴らす。無事両方の音が鳴れば、名前を呼ばれた神職の奉仕は、神意にかなったとみなされる。
なかでも注目したいのは、「うそぶき」が、息を「吐く」のではなく、「吸う」ことによって音が鳴らされること。これについては、鎌倉時代に書かれた『皇太神宮年中行事』に、以下の一文が記されている。
『音の鳴るをもってきよらかとしる、鳴らざるをもって不浄としるなり』。
「つまりうそぶきの音が、清浄か不浄かを知らせるということです」。神宮の広報室次長の音羽悟さんは言う。
「神慮にかなうか」という判断に、「清浄か不浄か」が重視され、その告知を音が担うということに、日本独特の音への感性を垣間見る思いがする。
30品目ものご馳走が並ぶ豪華な由貴大御饌。心を尽くしてお供えされる神饌
そして、夜。
太鼓が3度打ち鳴らされ、いよいよ由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の儀が始まる。由貴大御饌の儀は、宵(午後10時)と暁(午前2時)の2度行われ、宵を夕(ゆうべ)、暁を朝(あした)と表現されているのだ。
ほどなく、太鼓が再び3度鳴らされ、遠くから神職が参進する音が聞こえてきた。玉砂利を踏みしめ歩く一糸乱れぬその音は、途中修祓(しゅはつ)を行うために祓所(はらえど)に参入したときにしばし止み、その後は御正宮を目指してひたすら近づいてくる。
間近に迫ってくる参進の音。それに伴って聞こえてくる、ひそやかな「おー」という警蹕(けいひつ=先祓い)の声。静かな、だがたしかな存在感を放つ音とともに、純白の斎服を身につけた神職たちが、かがり火の中に浮かび上がる。その姿は、ほどなく白い御幌(みとばり)の向こうに消えていった。
ここから先は、時折聞こえるさまざまな音と文献を頼りに、祭祀の様子を想像することになる。
外宮の御幌(みとばり)の向こうに姿を消す神職たち。
大正時代の神職、阪本廣太郎の著書『神宮祭祀概説』によれば、由貴大御饌は、御正殿の前に置かれた素木(しらき)の案と呼ばれる大きな机の上にお供えされるという。
ちなみに、由貴とは「神聖でこの上なく尊い」、大御饌は「立派なお食事」という意味。その言葉通り、神饌には、神宮御園(みその)と呼ばれる菜園で収穫された野菜や果物のほか、海川山野の旬の食材が30品目も並ぶという。
特にアワビは、内宮の由貴大御饌の儀の直前に、御正宮正面の石階段の下にある御贄調舎(みにえちょうしゃ)で、生のアワビを調理する儀式が行われる。
この儀式では、天照大御神のお食事を司どる御饌都神(みけつかみ)であり、外宮の御祭神でもある豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお迎えし、その神前で、神職が清浄な小刀と御箸を用いて、アワビに3度切り込みを入れ、御塩で和えるという。
いかに心を尽くして神饌をお供えするか、この儀式1つからもうかがい知ることができる。
外宮の御正宮へ向けて参進する祭主以下神職たち。
内宮の別宮、荒祭宮で行われる由貴大御饌の儀。神嘗祭は、内宮、外宮の両正宮だけでなく、別宮、摂社、末社、所管社に至るまで、125社すべてで行われる。
さらに、神饌をお供えする際は、龍笛(りゅうてき)や篳篥(ひちりき)などの楽の音に合わせて、神楽歌が歌われる。
ちなみに由貴大御饌の儀では、御酒は3献差し上げることになっていて、その1献ごとに、言葉や節を変えて楽が奏でられ、神楽歌が歌われるのだ。
神宮独特の拝礼作法である八度拝と八開手(やひらで)、そして楽の音や神楽歌
清らかな音に満ちた夜のおまつり
大宮司が微音(=神様だけに聞こえるような微かな声)で祝詞を奏上するのは、1献目の御酒を差し上げた後。続いて、神宮独特の拝礼作法である八度拝、八開手(やひらで)が行われる。
この拝礼作法は、座した状態から立ち上がる「起拝(きはい)」という所作を、まず4度繰り返し、次に伏した姿勢で柏手(かしわで)を8つ打つ。そして、座したままで一拝。再び同じ順序で、4度の起拝と8つの柏手を繰り返すという流れになっている。
八度拝の様子。2025年9月に行われた遷宮関係のおまつり御船代祭の一場面。八度拝と八開手という一連の作法を神職全員で行うことにより、個の存在が消え去り、自ずと全員の呼吸が1つになっていく感覚が生まれると、先の『神宮祭祀概説』には書かれている。
浄闇の中、時折聞こえる楽の音と神楽歌。そして、しめやかな八開手の音。年に1度の新穀をお供えする神嘗祭の夜のおまつりは、真心の奉納と表現したくなるような、清らかな音に満ちていた。
天皇陛下から奉献される幣帛を、勅使が奉る奉幣の儀
最後を締めくくる御神楽(みかぐら)の儀
翌10月16日は、外宮で正午から(内宮は17日)、天皇陛下が奉献される幣帛(へいはく)を、勅使が奉る「奉幣の儀」が行われる。幣帛とは、神饌以外のお供え物のこと。貨幣がなかった時代は、絹織物などが最も貴重な品とされていたことから、神宮では今もその伝統を受け継いで、五色の絹など、数種の織物を奉献していただくという。
最後は、神宮の楽師による御神楽(みかぐら)の儀。夕刻から夜にかけて、4時間にわたり奉納される楽と舞で、神嘗祭は締めくくられる。
「夜は神様が活動される時間です。日が暮れて暗くなると1日が終わり、新たな1日が始まる。そのもっとも大切な1日のはじまりのときに、神様の御心をお慰めさし上げる。そんな古代人の考え方が今に受け継がれています」と音羽さん。
古式をとどめた神宮の祭祀には、日本人が大切にしてきた心が詰まっている。
おまつりの間中、焚かれるかがり火。
Text by Misa Horiuchi
伊勢神宮
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
文・堀内みさ
文筆家
クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、<wbr />ほとんど答えられなかった体験が発端となり、日本の音楽、文化、祈りの姿などの取材を開始。<wbr />今年で16年目に突入。著書に『おとなの奈良 心を澄ます旅』『おとなの奈良 絶景を旅する』(ともに淡交社)『カムイの世界』(新潮社)など。
写真・堀内昭彦
写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。
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星のやに泊まる、星のやを知る
2025.10.28
「星のや竹富島」宿泊記 その3 「種子取祭」を迎える竹富島の文化を「ミーニシ島時間」で満喫する
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「星のや竹富島」宿泊記の第3回は、「種子取祭」を迎え、竹富島の文化を最も色濃く感じることができる秋に実施される「ミーニシ島時間」を紹介。竹富島の畑文化に触れる貴重な体験をはじめ、秋限定の特別な朝食や、祭事でしか耳にすることのできない音楽など、秋ならではの島時間を満喫する充実プログラムが、訪れる人を待っています。
「星のや竹富島」宿泊記 その1 島に伝わる「ウツグミ」の精神と、流れる時間に身をゆだねる はこちらをクリック
「星のや竹富島」宿泊記 その2 降り注ぐ無数の星に見守られながら味わう極上フレンチ、「群星(むりかぶし)ディナー」のひととき はこちらをクリック
降り注ぐ太陽の光は煌めき、樹々の緑は鮮やかに輝いていますが、ふと気がつくと北風が吹いています。竹富島に秋がやってきました。季節の変わり目を島に告げるこの北風は、島言葉で「ミーニシ」。この「ミーニシ」が吹くと、島の最大の伝統行事、「タナドゥイ」と呼ばれる「種子取祭」が近づいてきたことを、島の人々は実感します。
「星のや竹富島」では、9月1日から11月30日までの間、「ミーニシ島時間」と名付けた滞在プログラムを実施。「種子取祭」に向け、次第に色濃くなっていく竹富ならではの島文化を肌で感じることができる貴重な体験が、訪れる人を待っています。
「ミーニシ島時間」を味わうには、まず「種子取祭」のことを知っておく必要があります。国の重要無形民俗文化財にも指定されているこの祭は、毎年旧暦9月(新暦では10月から11月)の間、干支(えと)では甲申(きのえさる)から癸巳(みずのとみ)にあたる10日間に開催される、五穀豊穣と子孫繁栄を願う竹富島の伝統行事です。とりわけ奉納芸能が執り行われる2日間は、竹富を離れた人々も数多く帰郷し、島は一年で最も賑わいます。600年の歴史を持つといわれる「種子取祭」を迎える秋は、いわば竹富島に流れる島時間が、祭に向けて次第に凝縮されていく時期。そんな秋の竹富島を堪能する滞在、それが「ミーニシ島時間」です。
五穀豊穣を願う神事の一端で、特別なお出迎え
チェックイン後、「ミーニシ島時間」を考案したスタッフの一人の與那城 日南楽(よなしろ ひなた)さんに案内していただき、施設内の一画へ向かいます。その一画にはなんと畑が広がっていました。竹富島特有の畑文化を継承するために設けられたその畑では、粟をはじめとして、「ヌチグサ」と呼ばれるさまざまな薬草や、小浜大豆などが栽培されているそうです。
この畑に、「サン」と呼ばれる、魔除けの意味を込めて先端を結わえた、ススキの葉を3本立てます。與那城さんが、「サン」の前で手を合わせ祈り始めました。
「サン」の前で端座した與那城さんの敬虔な姿は、畑を清浄な“気”で包みこみ、見る者の心まで豊かになったかのような気分にさせてくれます。
畑にススキの葉の先端を結わえた、3本の「サン」を挿して土を清め、五穀豊穣を願う。
「ミーニシ島時間」は、種子取祭にちなむ、特別なお出迎えから始まる。
お出迎えを終えた與那城さんに話をうかがいました。
「沖縄本島で生まれ育った私が、スタッフとして竹富島に住むようなり、最初に感じたのは沖縄と竹富の文化の違いでした。もちろん、沖縄にも独自の文化が残っていますが、竹富島の方が残っている文化の色合いが濃く、それが日常生活の中にしっかりと根付いているような気がします。『星のや竹富島』に足を運んでくださる方々に、こうした竹富独自の文化を少しでも味わっていただければと思い、種子取祭が行われる秋ならではの『ミ―ニシ島時間』を考えてみました」
「島のお祭の準備を手伝わせていただくことで、少しづつ、島に迎え入れられているような気がします」と、與那城さん。
「今年(2025年)の種子取祭は、干支の関係で11月11日から20日までですが、その前からさまざまな神事が始まります。いま私が行ったのは、種子取祭の期間中に行われる、『種子下ろし』という儀式の一部です。結んだすすきの葉の右は地の神に、左は天の神に、真ん中は病魔から竹富を救ったという伝説の漁師、アールマイにそれぞれ捧げられています。こうして清められた土地に粟の種を蒔き、その豊かな収穫を祈るのが、種子取祭の起源といわれています」
「サン」を作る際に用いるススキの葉と、種籠。籠のなかには、粟の種が入っている。
「私自身、竹富で暮らし始めた直後は、右も左も分かりませんでしたが、数多くある島の祭事のお手伝いを何度かさせていただくと、逆に『今度はちょっとここを手伝って』と声をかけていただけるようになりました。そうなると、少しづつ島の暮らしに溶けこんでいるような気がして、嬉しくなります。種子取祭を迎える秋は、もしかしたら竹富島がもっとも竹富島らしくなる季節かもしれません。『ミーニシ島時間』で体験することができる幾つかのプログラムで、お客様が少しでも多く竹富の文化に触れていただければ、と思います」
祭事にちなんだ唄と踊り、そして三線の音色を楽しむ
部屋で少し寛いだ後、「ゆんたくラウンジ」へ。ラウンジでは「ミーニシ島時間」のプログラムのひとつとして、竹富島出身の唄い手と踊り手による「夕凪の唄~秋の調べ~」が開催されます。秋の祭事や、種子取祭でしか見ることのできない奉納芸能が演目となるこの30分の公演で、種子取祭の雰囲気を一足先に味わうこともできます。
陽も次第に傾き、窓の外に見えるプールの水面が少し陰り始めたころ、唄と踊りが始まりました。揺蕩(たゆた)うような三線の音色に合わせ、ゆったりとした、そして、どことなくユーモアを感じさせる動きの踊りが続きます。
竹富島に伝わる古謡の調べにのった、ゆったりとした踊りに酔いしれる。種子取祭の際にしか見ることのできない演目が演じられることも。
唄われるのは主に「古謡」。竹富島の暮らしの中から生まれ、唄い継がれてきた、まさに土地の歴史そのものが刻み込まれた唄です。種子取祭ならではの五穀豊穣を願う唄から、長寿を願う唄、あるいは恋愛を題材にした唄など、内容はさまざま。「ゆんたくラウンジ」のソファーで寛いでいるゲストの誰もが、ゆったりとした島時間に包まれています。気が付くと、空は藍色から茜色に変わり、夕闇が少しづつ迫ってきていました。
踊を披露してくださった、宮良次子(みやらつぐこ)さんと、三線と唄を担当してくださった、花城敏明(はなしろとしあき)さん。
八重山の島々特産の豚や海の幸、そして命草(ヌチグサ)と呼ばれる野菜やハーブをふんだんに用い、そこにフレンチのエッセンスを駆使して美しく仕上げられた「星のや竹富島」の夕食は、「島テロワール」と名付けられています。この独創的な「島テロワール」を、お薦めのワインで堪能したあとは、再び「ゆんたくラウンジ」へ。八重山の焼酎をナイトキャップ代わりにいただき、部屋へ戻ります。夜空を見上げると、零れ落ちてくるかのような星空でした。
八重山の食材をふんだんに用い、そこにフレンチの手法を組み込んだ「島テロワール」は、ワインとも好相性。この日のメインは「熟成牛サーロインとマグロの炭火焼き 島醬油と黒糖のアクセント」©Hoshino Resort
種子取祭にちなんだ食材をふんだんに用いた「種子取祭朝食」
翌朝は爽快な目覚め。箒目も鮮やかに掃き清められた庭に小鳥が降りたち、囀っています。「ミーニシ島時間」の朝食が待っています。名付けて「種子取祭朝食」。その名の通り、種子取祭にゆかりのある食材をふんだんに取り入れた、竹富島の食文化を目と舌で味わう、楽しく美味しい朝食です。
まずは、「ミシャク」と呼ばれるお神酒の一種をいただきます。甘酒にも似たほのかな甘みと微かな酸味が、食欲を搔き立ててくれます。ノンアルコールなので、お酒が苦手な人でも平気。9つの升目に区切られた器には、9種類の料理が美しく盛り込まれています。ラフテースンシ―煮添え、ピンタク枝豆入りアーサー餡添え、島豆腐の粟味噌のアンダンスー添え……。料理の名前が記された紙片と照らし合わせながら、ひとつひとつ確認。料理名に入っているわからない言葉は、スタッフが教えてくれました。ちなみに、「ピンタク」とはニンニクとタコのこと。ニンニクのことを、竹富島では「ピン」と呼ぶそうです。
9つの升目に入った料理は、どれも身体に優しい味わい。「ラフテースンシ―煮添え」は中央下、「ピンタク枝豆入りアーサー餡添え」は左下。
初めて目にする料理が多いのですが、いずれも優しい味わいで、竹富島に流れる土地の力が、身体に届けられるような気がします。びっくりするくらい大きな車麩が入った味噌汁と、滋味豊かな穀物の混ぜご飯もおいしくいただきました。
竹富島は珊瑚礁が隆起してできた島で、土壌が豊かではないために米作りには適さず、島の人々は粟や麦などの穀物を大切に育ててきたそうです。「種子取祭朝食」は、五穀豊穣を願った島人の暮らしと、そこから生まれた「種子取祭」が持つ意味を、改めて思い起こさせてくれます。
神司(かんつかさ)の祈りが込められたお守りを作る
「ゆんたくラウンジ」には、約100年以上前に作られた、はた織り機が置かれています。このはた織り機でお守りの外袋を作るのも「ミーニシ島時間」のプログラムのひとつ。予め経糸(たていと)がセットされている織り機に向かい、緯糸(よこいと)を左右に通しながら打ち込んでいきます。打ち込む度に、ほんの少しづつ、布が織りあがってくるのが分かり、嬉しくなります。
昔ながらのはた織り機で織っていく。根気のいる作業だが、少しづつ織りあがる様子を目の当たりするのは楽しい。
祈祷を受けた五穀と塩を、織りあげた外袋で包んでお守りは完成。はた織りに仕組まれている糸は、竹富島の植物で染めたもの。
與那城さんにお守りの意味を説明していただきました。
「祭事の衣裳を織る際に使われていたはた織り機で織った外袋で、祭事にちなんだ五穀と魔除けの塩と詰めた小瓶をくるみます。このお守りは、竹富島の伝統的な祭事で、神様と人をつなぎ、人々の気持ちを神様に届ける役割を担う、神司(かんつかさ)と呼ばれる女性の祈祷を受けています。神様とともに生きている島の人々の思いが込められたお守りなのです」
「種子取祭」を迎える秋の竹富島で過ごす時間は、それ以外の季節より色濃く、島ならではの文化に触れることができます。五穀豊穣を願う祭事の一端を目の当たりにし、祭事でしか耳にすることができない音楽を聴き、祭事ゆかりの食材を用いた食事を味わう。そんな「ミーニシ島時間」で、島時間を五感で堪能することができました。
◆星のや竹富島「ミーニシ島時間」
・島の暮らしを始める特別なお出迎え
2025年9月1日~11月30日
・夕凪の唄~秋の調べ~
無料/2025年9月1日~11月30日 火曜日/16時45分~17時15分/ゆんたくラウンジ
・種子祭朝食
2025年9月1日~11月30日/1名4,961円(税・サ込)/7時~10時/ダイニング
・五穀のお守り作り
2025年9月1日~11月30日 火曜日・土曜日/1名4,000円(税・サ込)/10時30分~、11時30分~/ゆんたくラウンジ/
各回1組2名/当日10時までに予約
内容が変動する場合もあります。
photos by Nathuko Okada(Studio Mug)
text by Sakurako Miyao
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どうすれば、こんな美しいグラスができるのだろう? 切子に出会った人は、誰しもその美しさに心を奪われ、そして不思議に思う。切子とはカットガラスの日本での呼び名である。日本各地に残る切子のなかでも、名が知られているのは薩摩切子と江戸切子。とりわけ薩摩切子は、厚めのガラスに施された精緻なカッティングが生みだす文様と、光を受けて煌めく艶やかなグラデーション、手に持ったときにずしりと感じる重厚感を特徴とする。「南の宝箱 鹿児島」を巡る旅、今回はこうした薩摩切子を手掛ける二つの工房「薩摩ガラス工芸」と「ART DESHIMARU」を訪れた。
薩摩ガラス工芸
100年以上も製造が途絶えた薩摩切子を復元
薩摩切子は、島津家28代当主の島津斉彬が、近代化事業の一環としてガラス製造を進めたことに端を発するものの、明治維新やそれに続く西南戦争の混乱により、100年以上も製造が途絶えてしまった。そのため「幻の工芸品」とも称されてきた。
薩摩の紅硝子(びーどろ)と呼ばれ、かつては島津家から公家や大名家への贈答品として珍重されてき薩摩切子を、なんとか復元させたい。人々のそんな熱い思いがかない、1985年から「薩摩ガラス工芸」として、復元に向けての取り組みが始まった。翌年には工場が完成。場所は島津家ゆかりの地「仙巌園」の隣で、復元の中心となったのは、やはり島津家だった。工場の建設と並行し、残っていた資料などをもとにした試作品製作の試行錯誤が繰り返され、1986年にようやく復元に成功し、商品化も始まった。100年以上の歳月を経て、こうして蘇った薩摩切子は「島津薩摩切子」と名付けられた。
厚さ1㎜前後の薄手の色ガラスにシャープなカットを入れ、全体的に軽やかな仕上がりを特徴とする江戸切子に対し、薩摩切子は、時には5㎜もの厚さの色ガラスへのカッティングと、クリスタルガラスならではの透明感が複雑に入り混じったさまざまな文様が、ひと際華やかな表情を醸し出す。
なかでも、クリスタルガラスと、その外側に被せた色ガラスという2層ガラスの接面点への繊細なカッティングが醸し出す、「ぼかし」と呼ばれる独特のグラデーションの風合いが、文様により深い奥行きをもたらす。
「薩摩ガラス工芸」は「島津薩摩切子」を生み出す工場と、工場に隣接するショップ「磯工芸館」などがあり、見学が可能な工場で、こうした特徴を持つ薩摩切子が出来上がっていく様子を、間近に見ることができる。
「薩摩ガラス工芸」の工場は見学が可能。薩摩切子が生みだされていく様子を間近で見ることができる。
阿吽の呼吸で合体する、高温の色ガラスとクリスタルガラス
「吹き場」と「カット場」。工房は大きく二つに分かれている。「吹き場」は薩摩切子の生地を作る場。文字通り、吹き竿でガラスを吹いて成形していく場だ。二人の職人がそれぞれステンレスの吹き棒を持っている。片方の吹き棒の先端には、窯から巻き取られた色ガラスの塊が、もう片方の先端にも窯から巻き取られたクリスタルガラスの塊がついている。もちろん竿の先のガラスは、窯から取り出したばかりの、ドロドロに溶けオレンジ色に発光している液状の高熱ガラスだ。
色ガラスの吹き棒を持った職人が金型に色ガラスを吹き込んだ後、すぐさま今度はクリスタルガラスの吹き棒を携えた職人がその金型の中へクリスタルガラスを吹き込む。阿吽の呼吸でその二つを合体させることで、外側が色ガラス、内側がクリスタルガラスという生地が作られていく。作業は高温の室内のなか黙々と進む。二人が声をかけあうこともない。お互いの技術を信頼した熟練の職人技がそこにはある。
吹き竿に巻き取られた約1400度の高温のガラスの塊を成形していく。
吹き竿の先の二層となったガラスは、やがて金型の中に吹き込まれ、形が整えられていく。
内側にクリスタルガラス、外側が色ガラスでできた分厚い生地をカッティングすることで生まれる薩摩切子ならではの美しさ。製造現場を見学することで、その美しさの成り立ちを肌で感じることができる。
「色被せ」(いろきせ)と呼ばれるこの工程の後、色ガラスとクリスタルガラスの2層となったガラスの塊は、再び金型の中に吹き込む「型吹き」、16時間かけて冷却する「徐冷」(じょれい)を経て、検査した後に「カット場」へ運ばれる。
「吹き場」が“動”の作業ならば、「カット場」は“静”の作業だ。職人は椅子に座り、各々の作業をこなしていく。金型から取り出された原型に、カット模様の線を油製ペンで描く「当たり」。描かれた線にそっておおまかな模様をグラインダーで削る「荒ずり」。そしてさらに細かな模様を施す「石かけ」と最終工程の「磨き」。集中し、黙々と作業を進める職人の姿は美しい。
文様の下書きとなる縦横の分割線を油性ペンで引く、「当り」(あたり)と呼ばれる作業。
高速で回転するダイヤモンドホイールと呼ばれる工具で、ガラスの表面が削り込まれていく。
「吹き場」ではどろどろに溶け、オレンジ色に発光していた液状の高熱ガラスが、「カット場」では、紅や藍を纏った硬質な薩摩切子へと変貌していく工程を目の当たりにすると、100年以上も前にこの複雑な工法を編みだした人々の知恵と、途絶えていたそれを再現した薩摩の人々の熱意に胸を打たれる。
20年前に再現された、気品あふれる「島津紫」
ショップ「磯工芸館」は工場のすぐ隣の建物だ。足を踏み入れると、煌びやかな色彩の洪水にまず圧倒される。藍、緑、黄、紅、金赤、島津紫。6色の色ガラスを纏った数多くの薩摩切子が一斉に微笑みかけてくる。厚目のガラスが発する重厚な赤や青、軽やかに輝く緑と黄色。精緻なカッティングがこうした色彩をより鮮やかに引き立てている。展示されている商品も豊富だ。花瓶、鉢、タンブラー、小皿、猪口、愛らしいペンダントトップ……。工場で日々行われている大変な作業を目の当たりにしてきただけに、ひとつひとつの商品がより存在感を増してくる。
色とりどりの薩摩切子が並ぶショップは、まるで万華鏡の中を歩いているかのよう。
江戸時代に作られた当時の姿を今に伝える「復元」シリーズは、薩摩切子らしい重厚感と存在感を放つ。右、酒瓶「亀甲」・407,000円 左、丸十花瓶・407,000円(価格は税込)
「復元シリーズ」には、猪口などの小物類も豊富。右から、小付鉢・48,400円、猪口大・33,000円、猪口大・36,300円、脚付杯(中)107,800円。(価格は税込)
なかでも目を引くのが、「島津紫」と呼ばれている、気品溢れる紫だ。島津斉彬が所持していた薩摩切子の茶碗に使われていた優美な紫色をもとに、20年前に再現された紫色が彩る鉢やタンブラーが、薩摩切子の伝統と格式を象徴する。また、2025年は薩摩切子復元の40周年にあたる記念すべき年で、記念作品や限定商品も幾つか作られている。
復元40周年を記念して作られた、大鉢・1,210,000円と、タンブラー・82,500円。(価格は税込)
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産として登録されている「仙巌園」は、鹿児島を訪れた人の多くが、旅の目的地とするスポット。薩摩藩主の別邸だった御殿と尚古集成館で島津家の歴史や薩摩藩の偉業に触れたあとは、「薩摩ガラス工芸」で、薩摩の人々が育んできた美意識に触れる。こうした充実のひとときを、桜島が静かに見つめている。
薩摩ガラス工芸
鹿児島県鹿児島市吉野町9688ー24
Tel:099⁻247-2111
営業時間:8時30分~17時
定休日:月曜日、第3日曜日
ART DESHIMARU
試行錯誤して辿り着いた、黒の薩摩切子
「黒豚、黒牛、黒糖、黒酢、そして黒麹を使った本格焼酎。鹿児島は黒の文化が息づく土地です。だとしたら、黒い薩摩切子があってもよいのでは。そう考えたのが始まりです」
「美の匠 ガラス工芸 弟子丸」の代表で、切子師を名乗る弟子丸 努さんは、自身が手掛けた作品を前にそう語る。弟子丸さんは、島津家が中心となって進められた薩摩切子復興事業に当初から関わり、薩摩切子が出来上がるまでのプロセスを当事者としてつぶさに見てきた。その貴重な体験を活かし、自らの技術を磨きながら、2011年に「美の匠 ガラス工芸 弟子丸」を立ち上げた。
黒い薩摩切子を弟子丸さんは「霧島切子」と命名した。工房の所在地が霧島であることもさることながら、黒という色が持つ深みは、神々が住まうといわれてきた聖なる山、霧島にも通じると考えたからだ。漆黒にも近い黒は、薩摩切子独特の重厚感と相まって、荘厳な趣を作品にもたらしている。
「霧島切子」と名付けられた、黒の薩摩切子。黒と透明ガラスのモノトーンの世界は、静謐にして荘厳。
「黒いガラスをカッティングするのは、高度な技術が求められます。なぜならば、黒色は光を通さないので、カットする際に刃がどの深さまで入っているか、目で見えないのです。カッティングの要は、どこまで彫り込むかをミリ単位で調節すること。刃が見えないので、手先の感覚で彫っていくしかありません」
試行錯誤して辿り着いた黒の薩摩切子は、弟子丸さんの代名詞ともなった。
悠久の歴史の重みを感じさせる黒と、どこまでも透明なクリスタル。そこに彫り込まれた弟子丸さんならではの独自のカッティング。しんと静まり返った、静謐という言葉が相応しい、気高さが薫る作品だ。また、「霧島切子」には、まったく色を被せず、無色透明なクルスタルの輝きと、そこに施された精緻なカッティングを味わう作品もある。
「霧島切子」には、無色透明なクリスタルに刻み込まれた高度なカッティングが生みだす、美しい文様を味わうシリーズもある。
もちろん、伝統的な「薩摩切子」も弟子丸さんは数多く手がける。修業時代に培ったオーソドックスなカッティングに、独自の技法を組み合わせることによって生まれた文様は、「薩摩切子」ならではの「ぼかし」によるグラデーションと相まって、独特の美しさを醸し出している。さらに、製作の過程で生じてしまうガラス廃材を利用し、ペンダントトップやさまざまなアクセサリーに再生した「eco KIRI」 や、カッティングを施したステンドグラスからの透過光を室内で味わう「fusion」など、弟子丸さんは、これまでの「薩摩切子」の概念にとらわれない、新たな試みに絶えず挑戦している。
右から、繁盛升・150,000円、ハイボールタンブラー彩雲・230,000円、天開タンブラー極黒・110,000円(いずれも税別)
彩も鮮やかな作品が並ぶショップ。さまざまなカッティング技法を見比べるのも楽しい。
体験工房でアクセサリーやグラスなどのカッティングに挑戦
弟子丸さんを中心とした「美の匠 ガラス工芸 弟子丸」のスタッフが手掛けた作品のショップが「ART DESHIMARU」である。店内は「霧島切子」をはじめ、「薩摩切子」「eco KIRI」など、さまざまな作品が並ぶ楽しいスペースとなっている。「ART DESHIMARU」では、カッティングの体験も行われている。作ることができるのは、アクセサリーからタンブラーまでさまざま。
グレーと赤とのコントラストが印象的な「ART DESHIMARU」のたたずまい。
瀟洒なショップには、「霧島切子」をはじめ、さまざまなラインの作品が並ぶ。
ショップに併設された体験工房では、所定の料金を払い、アクセサリーやタンブラーなど、さまざまなタイプの切子に挑戦することができる。
アクセサリーに挑戦してみた。コイン状のブルーのガラス片を両手で持ち、高速で回転するダイヤモンドホイールと呼ばれるカット工具に、恐る恐る押し当てる。ギーンという金属音とともに、削られた部分の奥にある透明ガラスが白いラインとなって現れる。縦横斜めと、均等の放射線を4本入れようとするも、線の長さや間隔が揃わず、無様な放射線となってしまった。削る深さが均一でないために、ラインそのものの幅も異なっている。
カッティングを実際に体験し、切子の製作がいかに高度な技術を必要とするか、改めて実感した。
「炉火純青」を座右の銘として
「中国には『炉火純青』という言葉があります。炉の炎が青くなった時にもっとも温度が高くなることから転じ、学問や技芸が最高の粋に達することを意味します。この言葉を常に心に抱き続け、新しい煌めきを生み出したいと思います」
切子師、弟子丸さんの切磋琢磨は今日も続く。
薩摩切子の製作に40年近く携わり続けてきた弟子丸さん。まさに切子師と呼ぶにふさわしい。
ART DESHIMARU
鹿児島県霧島市隼人町小浜1817⁻1⁻2
Tel:0995⁻73ー4747
営業時間:10時~18時
定休日:木曜日
豊かな自然と、そこで暮らす人々の知恵が結びついたとき、その土地にはさまざまな「宝」が生まれる。鹿児島県の各地で生まれ、光り輝く数々の「宝」。それらは今や、世界が注目する存在になりつつある。
そんな鹿児島の宝を巡る旅は、これからも続く。これまでの「南の宝箱 鹿児島を巡る旅」は以下から。
Photography by Azusa Todoroki(Bowpluskyoto)
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